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辛口の日.png

 いつも買物をするスーパーで、タマネギとジャガイモが安売りをしていた。ついでに豚肉もだ。

 仰木高耶は考えた。今晩の夕食のメニューについてだ。

 タマネギとジャガイモと豚肉。

 肉じゃがだろうか。いやそれは物足りない。高校生男子に肉じゃがという選択肢はなかった。そうしたらもうひとつしかない。

 カレーだ。

 安売りの食材とにんじん、トマトを駕篭に入れ、ついでにカレールーも違う種類のものを三つほどセレクトしてレジに向かった。

 今日の夕飯は、辛口のカレーに決まった。

 

 帰宅して高耶が最初にしたことは、手を洗ってタマネギを刻むことだ。みじん切りにする必要はない。適当に切って火にかける。米を洗って炊飯器にかける間に、たまにかき混ぜる。最初のうちはあまりイジらない。そうするうちにタマネギが良い感じになっていくので、そこに他の野菜を入れて炒める。

 いつも通りのいつものカレーを作る。

「お兄ちゃん、ただいまー。今日のごはん何?」

 妹の美弥が帰ってきた。

 高耶の手元を見て、カレーだ、と嬉しそうに笑む。カレーは万人を幸せにする。

 トマトは大きいものを刻んで入れた。季節柄夏野菜のカレーが食べたかったので、茄子とピーマン、オクラ、そしてズッキーニ。後追いでミニトマトも入れたので少し酸味のあるカレーになるだろう。

 仰木高耶流の夏野菜カレーの完成だ。

 ちょうど炊飯器が音を立てている。

 スーパーで買ってきたらっきょうと福神漬けの封をあけて小皿に移す。

 少し考えて、コンソメスープを用意することにした。まだ夕飯まで時間がある。

 三玉一袋だったタマネギのうち、二玉をカレーに使ってある。残りの一玉のタマネギを薄切りにする。鍋でゆっくり煮て、コンソメと塩胡椒で味付けした。

「こんなもんだろ」

 高耶は満足げに頷いて、美弥に声をかけた。

「お腹空いた~」

 宿題をやっていたのだろうか。美弥が心底お腹ペコペコという体でダイニングにやってくる。

父はまだ帰宅していないので、帰宅後に温めて食べてもらうことになる。

 荒れていた父親だったが、最近は真面目に仕事を始めた。仕事の関係で遅くなる父は大抵後から食べることになる。家族で食卓をかこめないことは良くないのかもしれないが、仰木家にとってはそれが日常だった。高耶と父の関係性を考えると、これが良いのだろう。

「お兄ちゃん、美味しいよ」

 カレーを口に運び、美弥が嬉しそうに感想を言った。食事を作っていて、高耶にとって一番嬉しいのがこの瞬間だ。

「ちゃんと野菜も食えよ」

「も~、分かってるよ」

 タマネギのスープにも手を伸ばす。美弥からすれば、いつまでも子供扱いしないで、というところなのだろう。

 野菜がたくさん入った夏野菜カレー、そしてオニオンスープ。充実した夏の一日の夕食だ。明日の朝はまたこのカレーを食べて、夜はカレーを出汁でのばしてカレーうどんにしようか、とこれからの予定を考える。

(それにしては少し余るか……一日カレードリアの日を作るかな)

 先日美弥がピザトーストを作ったときのスプレッドチーズが冷凍庫に残っている。カレーは一度作るとあれこれ応用が利いて便利な食事だ。

「ねえ、お兄ちゃん、明日はこのカレーでドリアにしようよ」

 思わず笑ってしまう。兄弟して同じ事を考えていた。

「美味いもんな。じゃあ明日はドリアだな。また米炊いておくか」

「うん、そしたら明日美弥が作るよ」

「じゃあ明日の夕食は任せたぞ」

 一度カレーを作ると、カレー三昧の日々が始まるのは仕方の無いことだ。

 翌朝暖かいごはんに冷やしカレーというジャンクな食事をして、夜は美弥の作ったカレードリアを食べた。

 美弥のカレードリアはごはんにカレーをのせてスプレッドチーズとブロッコリーをのせたものだったがとても美味しかった。

「お兄ちゃんがカレー作ってくれるとたくさん楽しめていいよね」

 ニコニコとスプーンを口元に運んでいたことが印象的だ。高耶としては単に安売りと自分の食べたいものを作っただけなので、苦笑してしまう。

 そうして三日目。

 朝はさすがにカレーを避けて、バタートーストにした。一瞬カレーを塗ってカレートーストにしようかと思ったが夜のことを考えてカレーを温存した。

 そしてカレー最後の日。夕飯である。

 まず、残ったカレーに水を入れ、和風出汁を足した。そして火にかけてカレー出汁の汁を作る。風味が欲しかったので、めんつゆとカレー粉を入れた。

汁が出来たところで、冷凍うどんを茹でる。これは乾麺ではなくもちもちした冷凍うどんがいい。あくまで高耶の趣味だ。

 少しだけ固めに茹で、冷水に取る。汁とうどんを器に盛る。

 その時だった。

 電話のベルが鳴る。

「なんだろう、こんな時間」

 美弥が受話器を取る。

「あ、はい、はい。そうですか。お待ちしてます」

 何やら一方的な電話のようで、高耶はいぶかしむ。

「おい、誰だったんだ?」

「直江さんだよ」

「直江?」

「今から来るって」

「今から?」

 もう夕飯の時間だというのにどういうことだ。

「お兄ちゃんの顔だけ見て帰るって話しだったけど」

「いや、それはおかしいだろ」

 なんのために来るんだ。何か怨霊がらみの事件でもあったのだろうか。

 しかも今から来るということは、夕食も食べていないだろう。

 高耶はカレーうどんの鍋を空けて確認する。

 明日の朝も食べられるくらい伸ばしたので、父ともうひとり分くらいの量ならある。

(じゃああいつに食べてもらうか)

 直江の好みは知らないが、カレーが嫌いな人間はそうそういないだろう。

 ピンポーン

 玄関のドアチャイムが鳴る。美弥が「直江さんだ」とつぶやいて玄関に向かった。案の定直江で、美弥が室内に通す。最初直江は、高耶の顔が見られればと固辞したようだが、美弥には勝てなかったようだ。

「突然来てしまってすみません、高耶さん」

「腹、減ってるだろ?」

 高耶は、直江の分も含めて三人分を食卓に出した。

「おまえがいつも行くような高級な料理じゃねえけどな」

 残っていた福神漬けとらっきょうも冷蔵庫から出した。

「――高耶さんの手料理ですか」

「たいしたもんじゃねえけど、これから宇都宮帰るんだろ? 食っといたほうがいいんじゃねえかと思ったんだよ」

 ぶっきらぼうな口調は、おそらく高耶の照れだ。隣で美弥がふふ、と笑っている。

「本当に顔を見るだけと思って寄ったのですが……有り難くいただきます」

 高耶の手料理が食べたいと言っていた直江だったが、まさかこんな形で実現するとは思っていなかった。しかも実家では中々お目にかかることのないとても家庭的なカレーうどんだ。

「口に合わなかったら残していいぞ」

 そんなわけはない。

「あと、シャツに飛ばすなよ」

 それは自信がない。カレーうどんの宿命だ。

「飛ばしても帰るだけですからかまいませんよ」

 高耶は嫌そうな顔をした。

「おまえ、普段洗濯してねえだろう」

 美弥がうどんを食べながら笑っている。どうやら高耶と直江のやりとりが漫才のように見えているらしい。

 

 直江はしっかり完食して、汁もシャツに飛ばさず帰宅した。

「突然来るのは勘弁して欲しいよな」

「でも、お兄ちゃんも直江さんも楽しそうだったよ」

 直江さん来て良かったね、と美弥はニコニコと笑った。

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